『マイルス・デイヴィス 空白の五年間』(監督・主演:ドン・チードル) 希望か破滅か、four letter wordをつぶやきたくなる状況に寄り添うジャズ!
2017年 01月 17日

わたしも『この世界の片隅に』を見ているが、心に響いたあの映画は、心にまだ響き続けているので、なかなか文章にできない。でも、『マイルス・デイヴィス空白の5年間』は見てすぐに書けるのは、どういうわけだろう!たぶん、自分とは何の関係もない話だから、冷静に書けるのだろう。
全編に流れるジャズが心地よく、いい時間を過ごせた。
時間軸が前後を繰り返す映画はわかりにくいものだが、この映画は大きな音をきっかけに過去へと転換するところが小気味良かった。マイルスの活動中の時代と、休止中の時代の髪型がまったく違うので、間違えようがなかった。
タルコフスキー映画の『鏡』のような、過去も現代も主人公もその子供も、全部同じ髪型なので、誰なんだか全くわからない…ということがなかった。
マイルス・デイヴィスがなくなって、約25年がたつそうだ。
わたしはジャズについて知らない。トランペットといえば、チェット・ベイカーが好きで、マイルス・デイヴィスは強いトランペット演奏をする人という印象しかないのだ。ただ、1986年に発表されたアルバム『TUTU』だけはアルバムを持っていて、好きではなかったのだが、今でも覚えているくらい、何回も聞いた。何回も聞いていた。ジャケットの表も裏も、マイルスのモノクロ写真だ。


このアルバムはグラミー賞の一部門を受賞したり、評論家からは酷評もされたりと、いろいろだが、あらためて聞いてみると、鉄の扉を回し蹴りで蹴飛ばすような「くそったれな」状況の人間に寄り添うようないい曲だと、今、感じた。映画の中でマイルスが「ジャズではなくて、ソーシャル・ミュージック」だと言っていた、その音楽がこれなのだろうか。
ついでに、マイルス・デイヴィスの「枯葉」も。なかなか主旋律が始まらないが。
ついでに!チェット・ベイカーの「枯葉」も。チェットは、脱力しているな。違いがわかる。
映画に戻ると、昨年に見た『ブルーに生まれついて』ではチェット・ベイカーの一時期が映画になっていたが、そこでちょっとだけ出てきたマイルス・デイヴィスはものすごく嫉妬深くて、強烈で、深い人間味を感じた。
それに比べると、この映画のマイルス・デイヴィスは、希薄な感じがした。わがままで、麻薬中毒で、腰痛もちで、だらしなくて、むちゃくちゃな行動を繰り返す。
妻・フランシス役のエマヤツィ・コーニナルディが、すばらしく魅力的だった。ドル札に電話番号を書いて、「電話してくれ」とわたすマイルスの気持ちがよーくわかった。最初は輝くばかりだが、マイルス・デイヴィスと生活するにつれて、疲れて光が失われていく感じがよくでていた。相棒役のようになるデイブ・ブレイデン役のユアン・マクレガーもいい味だった。最後は『ブルース・ブラザーズ』なのかと思ったが、そうはならず…。
「モダンジャズの帝王」と呼ばれるマイルス・デイヴィスは、1926年5月26日にイリノイ州で生まれた。父は歯科医、母は音楽教師という裕福な環境で育つ。高校在学中の15歳のときにセントルイスのクラブに出演するようになる。18歳のときにセントルイスにビリー・エクスタイン楽団が来たときに病気で休んだ第3トランペットの代役で、ディジー・ガレスピーとチャーリー・パーカーと共演した。その後、ジュリアード音楽院に入学するが、中退し、パーカーと同居して演奏を共にする。
その後30年くらいは第一線で活躍するが、1975年から健康状態悪化などで、5年間活動を休止する。1980年に活動を再開し、何度か来日した。1991年9月28日、肺炎のため、65歳でニューヨークで没する。
アルバムでは特に『カインド・オブ・ブルー』『ビッチェズ・ブリュー』などが知られている(らしい)。
破滅的な人生の種を持って生まれる人というのはたくさんいるのだと思うが、平凡な人はそれを自分で冷凍保存して育たないようにして、破滅をさけて生きていくことができる。でも、チェット・ベイカーのように才能がある人は、種の凍結に手がまわらなくて、知らない間に種が育って破滅してしまうのではないかと、この映画を見ていて思った。しかし、ぎりぎりで、希望へと方向転換もできる。マイルスは希望のほうに進めたのだろうか…。

