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『風姿花伝』(世阿弥・著 夏川賀央・現代語訳) フィギュアスケートにも通じる「誠の花」「秘すれば花」「しおれたる演技」


 世阿弥が『風姿花伝』の最初の版を出したのは1400年ごろだったそうだ。秘伝として書かれた書は、明治時代に再発見されて、以後、幅広い読者に読まれてきたのだそうだ。「初心忘るべからず」はこの本から出てきた言葉なのだそうだ。

 能の「序破急」という構成方法に前から興味があって、知りたいと思っていた。そこで、図書館にあった「91分で読めます」と帯に書いてある致知出版社の本を借りて読んでみた。確かに1時間ちょっとで読み終わった。

 世阿弥の『風姿花伝』はこんな内容なのか。ちょっとがっかりした。原文に近いものを読めば、もう少し、感動したり新発見があったりするのかと思うが、「わかりやすく」を最優先したようなので…、わかりやすかった。

 まずは、役者の年齢ごとの特徴が記されている。これは年齢的には少しずれがあるが、フィギュアスケートにも通じるものがあるように感じた。

 能の技芸は7歳で習得を始めるのが慣習で、まずは、叱らず強いず心のままにさせるのがいいと書いてある。

 12、3歳は長所を生かして「花」を輝かせる。子供は何をやっても愛らしく、美しい幽玄の様子を持っているように見えるので、花が際立つ年齢なのだが、子供の能に見られる「花」が、「誠の花」でないことは知っておくべきことだ。


 子供が17,8歳になると初めの壁に遭遇する。愛らしい声とかわいらしい外見が失われるので、自信を失うということが出てくる。この年代の稽古は「たとえ指をさして人に笑われても気にさせてはいけません」。

 24,5歳になると声が安定し体格も確定する。ここで若くして開花して注目を浴びることがあっても、これは若々しい年齢に新鮮さを感じた観客がもてはやすだけの「たまたま咲いた花」に過ぎない。ここでこれを「誠の花」と勘違いすると、真実の花から遠ざかってしまう結果となるので、指導するものは、うぬぼれずに稽古に励むように導く時期だということだ。

 34,5歳になると絶頂期の盛りになる。ここまでは技術が上昇するが、40歳を越えると下降していく。

 44,5歳になったら、「花」は衰えていくので、わきの演じ手に花を持たせながら、あたかも自分は添え物であるかのように控えめに演じる。44歳を過ぎて失われない花があるとすれば、やはりそれは「誠の花」だ。

 50歳以上は「麒麟も老いては駑馬(どば)に劣る」(伝説の麒麟のような優れた馬も、老いてしまえば凡庸な馬にも劣る、という意味)という中国のことわざにある通りなので、だいたいのところ、「この年代の役者は何もしない以上にやるべきことはない」。しかし、世阿弥の父、観阿弥は52歳での死の一か月前に奉納の舞を舞ったが、若いころにも増して花のある演技だったという。それは「誠の花」は老木となり枝葉が少なくなっても花は散らずに残るからだそうだ。

 わたしが読みたかったのは「序破急」の構成についてだが、これは2ページだけだった。
 序でゆっくり始まり、破で拍子が入ってテンポがよくなり、急で一気に加速する。これは一つの演目についてもそうだが、一日の演目のバランスにもあてはめるし、3日間の公演のときにはその全体でも序破急を作るようだ。

 ベテランの役者で、力があっても、花が失せれば勝負には負けることが起こるのは自然なことのようだ。「どんな名木であっても、人は花が咲いていないときの木を見ません。一重のありふれた桜であっても、新しい花がたくさん咲いている木があれば,観衆は必ずそちらを見るのです」。

 世阿弥が重視するのは、音楽と動作を一体化し(音楽や言葉を動作で表す)、「強さ」と「幽玄」を一体化させることのようだ。強さと幽玄は物事の本質で、荒々しさや弱さは望ましくない演技ととらえられるようだ。フィギュアスケートの演技構成点の基準にもそのような部分があるのだろうか。

 花のある演技のさらに上には、花よりも風情がある「しおれたる演技」がある。しおれたる演技がどのようなものかというと、小野小町の「色見えで移ろふものは世の中の 人の心の花にぞありける」に表現されるような、美しい情景や心情のことだそうだ。浅田真央さんの「蝶々夫人」は「しおれたる演技」だったかもしれない。

 「そもそも芸能というものは人々の心をやわらげ、身分の上下を越えて皆が一体となれる感動を生み出せるものである。だからこそ芸能は、人々の幸福を増長し、その寿命まで伸ばすことができる。まさにこの道の究極は、いつまでも幸せで、いつまでも健康な人生を人々に提供するものなのだ。ときに応じ、場所に応じ、芸の良し悪しがわからない人にも「素晴らしい」と思えるような能をすることこそ、人を幸福にする一流の芸人への道なのです」
「花というのは見る人の心に新鮮な感動をあたえてこそ、花なのです」

 そもそも、花とは観衆が感じる新鮮さのことのようだ。「秘すれば花」の秘する内容は、「新鮮であることが花を演出する要素だ」という事実だ。
 
 つまり、役者が新鮮さを出すことを意識していることを秘密にするのだ。これを人が知ってしまったら、観客は「どこかに真新しい要素を加えているぞ」と心待ちにして能を見ることになってしまう。するとたとえ新鮮な趣向をこらした演技をしても、見た人の心に新しさの感情は起こらない。それが花だとわからないからこそ、役者は花を演出することができる。何の知識も持たないで能を見る観客だからこそ、感動も大きいというのはわかる。

 さらに、秘事は公開しなければいいというだけでなく、その秘事を自分が知っている人だということすら、人には知られてはならない。秘密にするからこそ、花、秘密にしなければ花にはならない、と書いてある。

 昔の人は…。

Commented by mo8_a29 at 2017-02-03 23:41
こんばんは~
実は私も『風姿花伝』読んでいる最中です。私は遅読で字面を追ってしまうタイプなんですよ。角川文庫の現代語訳付きの『風姿花伝・三道』です。
しかし『秘するが花』とは…やっぱりそういうことなのかと思います。町田くんが世界選手権後に母校の中学でスケートをやっていてそんなに楽しそうなこと言っていないし反対に憂鬱そうで正直あんなに華やかな表現の裏側は大変そう~~なんて思いました。だから…こんなにメディアには出ないのかな~~なんてね。
Commented by tarukosatoko at 2017-02-04 00:08
mo8さん、わわわわ!
なんか、シンクロしますね!びっくりです。
その角川文庫の現代語訳付きを、読みたいと思いました。私が読んだ、わかりやすい現代語訳ですが、ほんまにこれが世阿弥の本なのか…と思ってしまったので。
でも、昔の本の現代語訳って、読みにくいことが多いから、読むのがゆっくりになり挫折することがわたしは多くて。でも、あらかたの内容を知ったので、読めるかもしれません。

町田さんの引退後の活動は、まさに秘すれば花、毎回、新鮮さで驚かされました。その裏には、憂鬱なこととか、大変なことが、見せないけれども、あるんでしょうね。
by tarukosatoko | 2017-02-03 20:01 | | Comments(2)

本をぺらぺら読むのが一番の幸せ。フィギュアスケートやタイ・中国などのアジアドラア、生活雑記もあり。


by さとこ タルコフスカヤ