『たかが世界の終わり』居心地のいい不幸よりは幸福を…、26歳フランス人映画監督、グザヴィエ・ドランにブラボー!
2017年 02月 24日


テーマは、家族がもたらす心の痛み。人はまず、家族によって、心をばっさりと傷つけられる。考えたこともなかったが、そういう一面は確かにある。主人公ルイが12年も家に帰らなかった理由は描かれていないが、家族の会話を聞いていれば、すぐに察することができる。ルイがゲイだということも関係があるようだ。
ルイが帰宅してからずっと、その場にいることが嫌になるような、一触即発の薄氷を踏むような疲れる会話が延々と続く。一人で長々と話し続ける自己中心的な母、場の雰囲気を著しく悪化させる辛辣な兄、必要以上におどおどした兄嫁、神経質で壊れそうな妹…。でも、全員が、家族の存在に特別な感情を持ち、期待し、愛情やあたたかいものを求めている。そして、裏切られる。

しかし、むしろ、わたしは救われたような気持ちになった。自分も、両親など、家族としっくりといかなかった。理解してもらえないと傷ついていたが、家族もお互いに理解されないと傷ついていたことに、映画を見て、いまごろになって気が付いた。自分がもっと家族の誰かと似通った、親和性がある性格の人間であったら、家族はもっと幸せだったのかも…という思い、そんな自分のかつての思いと映画がぴったりと重なって、「フランスでもそんなことがあるのか…」と思ったのだ。
最悪な存在は、すべてをぶちこわす兄なのだが、一番繊細なのも兄なのだろう。兄は事実を知っていて、最後の行動に出たのかもしれない。あるいは、弟の欺瞞に気が付いて、キレたのかもしれない。気持ちは痛いほどわかるが、行動が悪すぎる。
兄を演じていたバンサン・カッセルは『ブラックスワン』の軽薄な演出家の役で、顔が印象的だったが、イメージが変わった。
最期の鳥がとぶ場面は象徴的だ。家族といると、あの鳥のようなことが起こる。居心地のいい不幸よりは、幸福を…、それでいいのだと思う。偶像のような幸福な家族でないことを嘆くよりは、“たかが”家族と思っていたほうが、むしろ、家族が地上に存在していてくれるということ自体が、それだけで、いいことなのだと感じられるかもしれない。よほどの家族でないかぎりは。

