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本読み虫さとこ・ぺらぺらうかうか堂(フィギュアスケート&映画も)

市川海老蔵さんのブログより「心が折れたら新しい魂を見つける」&歌舞伎小説『きのね』(宮尾登美子)『出雲の阿国』(有吉佐和子)

 市川海老蔵さんのブログを読んでいたら、「声が出なくなると出るように努力する 身体が動かなくなるとそれでも動くように鍛錬する 心が折れたら新しい魂をみつける 日々そんな作業のくりかえしです」と書いてあった。

「心が折れたら 新しい魂を見つける」

 この文を読んで、目からうろこが、大量にバサバサバサッと落ちた気がした。そうか、といろいろと合点がいくことがあった。生きていれば、何度かは心が折れることはある。そういうときは、「新しい魂」を見つけるのか…

 マイナスの状況をプラスにしようと全力で努力しているのに、自分以外のものの影響で、逆に物事が悪いほうに進んでマイナス要素が大きくなっていくということがあり、自分の力だけでは全く及ばず、何年か前に「自分は心が折れたのだな」と深く実感することがあった。心がポキッと折れるその音が聞こえるくらい、心の状態の変化がはっきりとわかるという体験をした。元気に歩いていたのに、急に下を向いて、しゃがみこんで、もう立ち上がれないし、立ち上がる気にならないし、立ち上がってやるかとふてくされるような感じだ。

 その時に、自分は考え方を変えた(つもりだった)。いいことだろうと思ってしていることをやめた。常に人に気持ちよく接するとか、するべきことを120%の力で取り組むとか、不本意なことも我慢するとか、全体のことを考えて行動するとか。
 そういうことは強いてせずに、淡々と自分の大事なこと、好きなこと、目標に向かってだけ生きようとした。
 別に悪いことはしていないが、心から望んでいない本筋でないことまでもがんばりすぎると、結果を求めることになり、結果が得られないと、失望してしまうのだ。

 でも、わたしは、市川海老蔵さんのように「新しい魂」を見つけなかったので、最近までなにかしら、悔しい思いのようなものをひきずってきた気がする。古い魂を捨てないから、どこかスキッとしないような…。

 古い自分の魂を捨ててしまう潔さが必要なのだ。そして体の奥底から立ち上がってくる新しい魂を素直に受け入れよう。これは、役者だからこその発想だろうか。

 最近、「新しい魂」のようなものを感じてもいたのだ。普段の自分なら思わないようなことを強く思うようになって、あれれ、自分の性格が変化して新しくなっているぞ、と感じていたところでもあったのだ。この変化を受け入れようとも思った。以前よりも正直で自分に忠実になったようなのだ(年をとるとそうなるのだとすると、それはちょっとあれだが…)。

 なにか、単純すぎるようでもあるが、「心が折れたら 新しい魂を見つける」という言葉が、ストレートに、心のストライクゾーンにスパーンと届いたのだ。おそらく、市川海老蔵さんの本意とは違うかもしれないが。


 さて、歌舞伎関係の小説は、非常におもしろいものが多いのではないかと思う。

宮尾登美子『きのね(柝の音)』
 かなり前に読んだが、詳細なストーリーを覚えている。上下巻。市川海老蔵さんの祖父の11代目市川團十郎(1909-1965)をモデルにしたという話だ。たぐいまれな美貌と芸の美しさで、海老蔵時代には「花の海老様」として大ブームになった。戦後の歌舞伎を代表する花形役者の一人だ。

 小説では、癇癪もちの難しい性格の人だったようだが、読んでいてぞくぞくするような恐ろしくも美しい人たちの話だ。

 彼を愛する女性のひたむきさ、激情にたじろぐ。女の業を強烈に感じる。歌舞伎の世界は特殊だと言われるが、その「特殊」さの内容がよくわかる小説だ。11代目は、屈折しすぎているが、女性への思いや行動は、芝居のように暗さをはらんだ鮮やかさだ。

 今の市川海老蔵さんの父・12代目市川團十郎さんが産まれて、子供時代の話もでてくる。子供なのに、ひどく苦労したのだな…と、12代目の団十郎さんにも思いをはせるようになる。

有吉佐和子『出雲の阿国』
 
 歌舞伎の元祖、出雲の阿国のことを書いている。上中下と長い小説だ。有吉佐和子ってば小説を書くのがうまい!と、改めてうなってしまうくらい、出雲の阿国の21年間のことを、ぐいぐいと、みごとに描き切っている。

 この小説でも女の激しい情念がぼっと燃えていて、そこに嫉妬、野心、悪あがき、政治情勢の変化、自然災害などが次々と。雅な京の都と堅実な江戸の対比もわかりやすい。

 お国、三九郎、傳助、九蔵、お菊…癖のある鮮やかな人物たちが、混迷に混迷をきわめながらも、踊りには確固たる信念をつらぬき、最後にうまれたのが、「天下一阿国歌舞伎」だ。小説によると、出雲阿国の踊りの特徴は、足拍子の軽やかさ、白い足の裏や着物の裾や裾の裏などの美しさをチラッとみせるところにあるらしい…。

 豊臣秀吉、石田三成、徳川家康も違いがくっきりとわかるように描かれている。

 阿国は、
庶民をかえりみず築城ばかりする権力者へのさめた視線を持ち、権力者の庇護による出世を望まず、庶民民衆と共に酔って楽しみを提供、遊女歌舞伎の象徴の蛇皮線を拒否する。この芯の通った阿国の姿は、理解しやすく、作者の芸能論の反映なのだろう。
 最後に印象に残ったのは、一番印象の薄いお松だ。こんな人生でいいのか?とお松に聞きたい。でも、リアルな人生はお松のようなものなのかもしれない。

 ちなみに、歌舞伎の動詞形のような言葉「かぶく」とは、演者が自ら踊りに酔い、それが観客に伝染して一体となった陶酔状態になることをいう。天性の踊り手は「かぶく」かどうかでわかるということだ。
 フィギュアスケートでいうなら、高橋大輔、町田樹、エラッジ・バルデ、ミューシャ・ジー、デニス・ヴァシリエフス、エフゲニア・メドベージェワなどは「かぶいている」のじゃないかな。

 「かぶいた」芸能者に世間の常識をあてはめるのは違うのだなというようなことを考えた。それに、今は恋愛に淡泊だが、狂ったように恋愛に打ち込んだ昔の人は、「生きた!」という実感が強く、結果はどうあれ、充実感があったかもしれない。そういうふうで、別に、いいのかもしれないとも思った。



by tarukosatoko | 2017-07-28 02:27 | | Comments(0)

本をペラペラ読むのが一番の幸せ。フィギュアスケートや映画、生活雑記もあり。

by タルコフスカヤ・さとこ
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