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本読み虫さとこ・ぺらぺらうかうか堂(フィギュアスケート&映画も)

父親の13回忌 真言宗の法事 法話を2時間も聞いた

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 4月、父親が文字通り「ぽっくり」と亡くなってしまってから12年がたった。脳卒中で入院して、何日か後に、多臓器不全で亡くなった。人の死に立ち会ったのは生まれて初めてだった。

 だんだんと脈が少なくなり、血圧が落ちていって、ぷつり…とすべてが止まった瞬間、父の顔から父の性格のようなものがすっと消えた気がした。昏睡状態になっていたが、その顔には確かに思いを持った父の意志が感じられた。色濃く表情があった。それが、消えたのだ。父の体は抜け殻になったように思えた。「亡くなるということは体から魂が抜けることだ」という意見をわたしはこのときに持った。その魂がどうなるかは不明だが。


 そのとき、その瞬間に「死ぬことは自然なことなので、怖くなさそうだ」という実感を持つことができた。父親の場合に限るが(生前の父親の言動や考えていたことやなんやかやも考えあわせると)、亡くなる人は納得しているように思えた。そうでない人が多いかもしれないが、父はかなりの変わり者で常識的ではなく、執着心の少ない人だったから、そう見えたのかもしれない。

 そして、それまでは、死体を焼くときに焼き場で鉄のふたをするときが、耐えがたいほどつらかったのだが、父のときから、その部分のつらさは感じなくなった。父の魂はどこかへ飛んでいき(あるいは消滅し)、体はお世話になった抜け殻なのだから。焼き場で悲嘆にくれなくなった。これも画期的な出来事だった。

 でも、死は楽なものではない。亡くなる人はなにも問題がなさそうだったのだが(問題がおおありだったかもしれないが)、ひどくきびしい状況に置かれたのは(亡くなった本人が一番厳しい状況だったのかもしれないが)、残されたほうだった。当然のようにいた人がいなくなってしまったという喪失感、悲しみ、寂しさは大きすぎて、まるで、立っている地面の半分が崩れ落ちてしまったような感覚があった。ちょうど、桜が満開になったところで、桜の下を泣きながら家に帰ったことを思い出す。12年たっても、つらすぎて、心が痛い。

 しかも、親戚の人などに来てもらうお葬式には気を使うことが大量にあり、葬儀の細々したことを決めることから始まり、挨拶文を考えたり、お通夜や葬儀後の食べ物を決めたり、焼香の順番を書き出したり、参列してくれた一人一人へのお礼と状況の説明など、睡眠不足と悲しみと疲労で、へとへとになった。

 しかし、13回忌は、叔父叔母が高齢になってしまったことや、遠くに住んでいることなどから最小限の家族だけですることになった。父がいなくなって12年もたったとは驚きだ。十二年前はわたしは若く、母親も若く、みんなが若々しくて、子供は小さかった。東日本大震災も起こっておらず、スマホを持っている人もおらず、わたしはフィギュアスケートにここまではまっていなかったし、まだしも素朴な時代だった。

 このところの状況の変化は急激過ぎる気がする。父がいたら、どう思っていただろうか。聞きたかったものだ。

 実家は真言宗だ。わたしは死後の世界もなにもかもわからないという立場を変えることはないが、このお寺のお坊さんに対しては、その仕事ぶりの真摯さを尊敬している。真言宗の中の高野山真言宗という宗派で、かなり、真面目な本気の宗派で、お坊さんも、本気のお経をとなえてくれるし、本気で供養してくれているように見える。1時間くらいの法要のあと、時間があったので、2時間くらい話をしてくださった。

 住職さんは沖縄の与那国島の出身で、50歳を過ぎてから「お大師さんに導かれて」出家した女性だ。住職さんが生まれたとき、沖縄はアメリカだった。父親が保証人になったために一家が離散し、5人姉妹の長女として働きに働いて家族をささえ、そうこうするうちに、このお寺の住職と出会い、跡継ぎになった。最初の住職さんというのがまた、信念を持っておられる人で、たくさん檀家があるにもかかわらず、ものすごく質素に、そして明るく暮らしておられた。偶然とはいえ、このような本当の仏教を実践しているらしいお寺にお世話になれることはうれしいことだ。

 2時間のお話はあっというまで、とてもおもしろかった。お盆と、春夏のお彼岸に、12年もお話を聞いてきたので、書くと長すぎるが、続き物の物語を聞くようで、法事がいつも楽しみだ。

 大きな法事のときには、ミニチュアのようなお膳にご飯をととのえる。これは母親が作った。あとで、残ったものを食べたらとてもおいしかった。法事には、おいしい食べ物もついてくるので、それも楽しみの一つなのだろう。

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つぶやき


Commented by dazaiosamuh at 2018-04-15 06:31
こんにちは。私はまだ人の死ぬ瞬間に立ち会ったことがなく、また、両親も健在なので、興味深く読ませていただきました。
いつかは自分の親も亡くなるものだと分かっていても、そんな日が本当に来るのだろうかと、いまだに子供のようなことを考えています。
信念をもった住職さんと親しくお付き合いできるというのは、とても良いことだと思います。実は私の父は、40代後半の時に公務員を辞めて、お寺は忘れましたが、僧侶になるべく修業に出ました。同じく真言宗です。その後、僧侶にはなれましたが、色々あって…、別の仕事に就き、今は定年を迎えてのんびりしています。父の影響で、私も般若心経などを覚え、なにか不安な気持ちになったなど、心を落ち着かせるために、部屋で一人で声にだして唱えたりなどしています。お経は、心が落ち着きますね。
Commented by mo8_a29 at 2018-04-15 17:49
私の父とは違い tarukosatokoさんのお父様は皆さんで亡くなるところに立ち会われたのですね。これもその方の縁なのでしょう。比較はいけませんが やはり宗教も心がこもっていていいですね。ご住職様のお話しが 楽しみという。落ち着いた生活をしているんだなあ~ 
Commented by tarukosatoko at 2018-04-16 20:52
> dazaiosamuhさん
わたしも、父親が亡くなるまでは、自分の親が亡くなることなどは、現実感がなく、想像もできませんでしたよ。親が70歳になっても。亡くなったときも、理屈では理解しても、現実のものとしての実感はなかったです。12年たった今でも、父がいなくなったということに、不思議な気持ちがします。
お父様が真言宗の僧侶になられたということで、驚きました。すごいお父さんですね。四十代後半に修行に出たときに、子供であるdazaiさんは何を思ったのでしょうか???父を供養してもらっているお寺も、四十代とか五十代くらいで発心して僧侶になった人ばかりで、家がお寺だったから…というお坊さんがいません。でも、跡継ぎをめぐっては、住職さんたちのような、執着を捨て去ったような人が見つからず(そのような人は希少すぎるのではと思います)とても困難な問題があるようです。
父の実家は浄土真宗だったのですが、父も真言宗のお葬式に行ったことと、般若心経から入って、自分が亡くなったら真言宗で弔ってほしいと言って、それを母親が実行しました。その関係で、わたしも般若心経を覚えることになり、父の死後は、法事などで般若心経だけでなく、「おんあぼきゃべいろしゃのう…」などの御真言というのを覚えましたよ。
春と秋の施餓鬼供養というのは、まるで…音楽のコンサートに来ているような、そのくらい般若心経などは美しい響きです。
Commented by tarukosatoko at 2018-04-16 20:59
> mo8_a29さん、亡くなるところに立ち会ったのは、母と子供だけで見送りました。母が閉鎖的な状態になっていて、人を呼ぶのを嫌がって、いろいろな人に来てもらうことがなかったです。父はいろいろと困難なことの多い人生だったし、わたしも父には否定的な思いがたくさんあり、母も父に対しては嫌なことのほうが多かったのではと思うのですが、晩年は孫たちと登山をしたり孫や子供や妻とご飯を食べに行ったり、亡くなるときも家族がいて、まあ、幸せだったのではと思っています(父はそう思っていなかったかもしれませんが)。
父の死後に近所のお寺を探して、なかなかいいお寺が見つからず、母の心が折れてしまったり、たいへんでしたが、お寺の供養があるたびに慰められるので、このことに関しては父も喜んでいるのではないかと思っています(わかりませんが(^_^;))。
by tarukosatoko | 2018-04-14 10:27 | 番外編 | Comments(4)

本をペラペラ読むのが一番の幸せ。フィギュアスケートや映画、生活雑記もあり。

by タルコフスカヤ・さとこ
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