抜き書き、その2。
「パヌルーは書斎の人間です。人の死ぬところを十分見たことがないんです。だから、真理の名において語ったりするんですよ。しかし、どんなつまらない田舎の牧師でも、ちゃんと教区の人々に接触して、臨終の人間の息の根を聞いたことのあるものなら、わたしと同じように考えますよ。その悲惨のすぐれたゆえんを証明したりする前に、まずその手当をするでしょう」
「この世の秩序が死の掟に支配されている以上は、おそらく神にとって、人々が自分を信じてくれないほうがいいかもしれないんです。そうしてあらんかぎりの力で死と戦ったほうがいいんです。神が黙している天上の世界に眼を向けたりしないで」
「筆者は、しかしながら、これらの保健隊を実際以上に重要視して考えるつもりはない。筆者の立場に立てば。なるほど、多くの市民が、今ではその役割を誇張したい誘惑に負けるであろう。しかし、筆者はむしろ、美しい行為に過大の重要さを認めることは、結局、間接の力強い賛辞を悪にささげることになると、信じたいのである。なぜなら。そうなると、美しい行為がそれほどの価値を持つのは、それがまれであり、そして悪意と冷淡こそ人間の行為においてはるかに頻繁な原動力であるためにほかならぬと推定することも許される。」
「世間に存在する悪は、ほとんど常に無知に由来するものであり、善き意志も、豊かな知識がなければ、悪意と同じくらい多くの被害を与えることがありうる。人間は邪悪であるよりもむしろ善良であり」
「最も救いのない悪徳とは、自らすべてを知っていると信じ、そこで自ら人を殺す権利を認めるような無知の、悪徳にほかならぬのである。殺人者の魂は盲目であり、ありうるかぎりの明識なくしては、真の善良さも美しい愛も存在しない」
「毎晩、電波に乗ってあるいは新聞紙上で、同情的なあるいは賞賛的な注釈の言葉が、あれ以来孤立している町めがけてとびかかってきた。そしてそのたびごとに、叙事詩調の、あるいは受賞演説調の調子が医師をいらいらさせた。もちろん、彼はそういう懇切な心遣いが見せかけではないことを知っていた」
「まことに彼が日がな一日人々に分かち与えているものは、救済ではなくて、知識であった」
「疲労というものがあったことは、まだしも幸福であった。万一、リウーがもっと生気溌剌たる状態にあったら、至るところにあふれたこの死臭は彼を感傷的にしたかもしれなかった。しかし、4時間しか寝なかった場合、人間は一向感傷的ではない。彼は物事をあるがままに見る」
「それも案外ばかにならない考えであるが、何かの大病あるいは深刻な煩悶に悩まされている人間は、それと一緒に、他のあらゆる病気あるいは煩悶を免除されるという考えに基づいて生活しているように見える。<<あなたはこういうことに気がついたことがありますか。人間はいろんな病気をかけもちすることはできないんですよ>>彼は私に言った」
「あなただって癌にかかっている人間が自動車事故で死んだなんてことは見たためしがないでしょうが」
大病の人が交通事故にあった話は聞いたことがないが、そんな法則があるだろうか。難しいことが書いてあり、今のパンデミックがなければ最後まで読まなかったかもしれない。今だから、共感できることが多かった。
一つの部分を取り上げて、おおごとにして騒ぐことは結局、そのいいことを損ねるような方向に行くのではないか…というような話など。伝染病の話なのだが中心は伝染病の内容ではなくて、そこから、人間の生きる姿が浮かび上がってくる。そちらが中心の小説で、これを読んだところで、今のコロナへの怖さが減ることはないが、ペストによる死への恐怖と、市の閉鎖を軽く追体験することで、ちょっと大きめの見方ができるかもしれない。
(続く)
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