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『遠い山なみの光』(カズオ・イシグロ) 不条理&どんでん返しの仕掛けがある小説 

『遠い山なみの光』(カズオ・イシグロ) 不条理&どんでん返しの仕掛けがある小説 _e0337786_10383982.jpg

 イギリスに住む日本人女性・悦子が主人公だ。悦子がかつて終戦直後の長崎で生活していたときの回想が中心の小説。林芙美子の尾道を舞台にした小説のような肌触りなのだが、小説全体にえもいわれぬ違和感が漂う。日本人女性が語るスタイルなのだが、これをイギリス人の男性である作家が書いているがゆえの違和感なのか。悦子と、夫が亡くなり一人娘を育てる佐知子との交流を悦子が主観的に語る。子供へのネグレクトがひどく家に放置して出歩く佐知子は、あてにならない外国人男性に振り回されている。一方、悦子は妊娠中で、会社員の夫と二人暮らしだ。結婚前からお世話になった舅が家に遊びに来ている。

 二人の会話がまったくかみあっていない。佐知子の理屈が通らない話に、悦子はへんに同意したり、大事なお金を貸してしまったりする。理由がわからない。また、悦子が夫よりも舅と親しそうなのも不思議だし、子供である万里子が泥沼で不自然に倒れていたり、「おばさんが来る」という謎の話を繰り返す。万里子の台詞の内容と響きに、ホラー映画のような雰囲気まで感じてしまう。
 悦子が万里子を探すときに2回とも縄を手にしていたり、付近で子供を狙った殺人事件が複数回発生していることや、悦子の娘の景子の自死が縄を使ったものだったことなどをつなぎあわせると、悦子は実は長崎でもイギリスでも連続子供殺人犯で、この本は実はミステリーなのかと、極端な推測までしていたが、肩すかしをくらう。殺人犯を扱った小説ではなかった。さらりと小説は終わった。それで「ふーん…」と終わった場合は、この小説は、特に面白くもないものとして記憶されるのだと思う。

 ところが!なんとなく違和感が残った部分を読み返すと、最後の最後で、種明かしになる部分が見つかった。その一言で、とんでもないどんでん返しが隠されていたことがわかる。それで、この地味な話を、最初から最後まで、一気に読み直してしまった。読後すぐに本を一から全部読み直すことはほぼないのに、夢中で読み直した。そうすると、いくつかの、謎をとく部分が見つかった。そうかもしれないし、違うかもしれないという微妙な描写なのだが、もう、絶妙な書き方をカズオ・イシグロはしているのだ。〝信頼できない語り手〟の真骨頂だ。

 最後の解説は翻訳者(カズオ・イシグロは英語で書いている)小野寺健が書いている。「この薄明の雰囲気は、あきらかに世界を不条理と見る味方に由来している。イシグロはジョイス、カフカ、カルヴィーノ、ボルヘスと一群の一群の20世紀作家につづくと言われる論拠なのである」。カフカしか読んだことがないが…

 そして、作家の池澤夏樹も解説を書いている。

 「作家には作中で自分を消すことができる者とそれができない者がある。三島由紀夫は登場人物を人形のように扱う。全員が彼の手中にあることをしつこく強調する。会話の途中にわりこんでコメントを加えたいという欲求を抑えることができない。司馬遼太郎はコメントどころか、登場人物たちの会話を遮って延々と大演説を振るう。長大なエッセーの中で小説はほとんど窒息している。(中略)カズオ・イシグロは見事に自分を消している。映画でいえば、静かなカメラワークを指示する監督の姿勢に近い。この小説を読みながら小津安二郎の映画を想起するのはさほど難しいことではない(中略)この自信は無視できない」。

 なるほどなと思った。ただ、司馬遼太郎の小説が窒息しているとまで書くのは、勇気があることだ…。トルストイもコメントが多い。

 しかけのある小説はおもしろい。イシグロ小説の底に常に流れている薄明の雰囲気、次は『浮世の画家』を読む。




by tarukosatoko | 2021-07-23 20:12 | | Comments(0)

本をぺらぺら読むのが一番の幸せ。フィギュアスケートやタイ・中国などのアジアドラア、生活雑記もあり。


by さとこ タルコフスカヤ